沿革・歴史

50年、変わらない思い。
より善い社会の実現に貢献する。

JAIMSは1970年代初頭、当時富士通株式会社代表取締役社長であった高羅芳光氏の構想から生まれました。JAIMSの基本構想は、大卒のビジネスパーソンに他国の言語とビジネス手法・スキルを教授することであり、当初用意されたプログラムでは、アメリカのビジネス・文化を学びたい日本人と、日本のビジネス・文化を学びたいアメリカ人を共に学ばせることに主眼を置いていました。設立当初から、JAIMSには真に国際的な教育機関として、世界中の経営トップ候補生同士が互いの言語、文化とビジネス手法を学び合う場たることが求められていました。更に、JAIMSの教育プログラムではコンピュータ技術そのものはもちろん、それを言葉の壁を乗り越えるために役立てる方法にも焦点が当てられることとなりました。

ハワイがJAIMSの設立場所に選ばれたのは、当時ハワイが日本とアメリカの主要な中継地点であり、現在も多民族・多文化が共存するユニークな環境を保持しているからです。1971年、初代JAIMS所長の松原宏が、ハワイカイにある6エイカーの土地をJAIMSキャンパスの建設地に選定しました。

JAIMSの講義は、当初ハワイの代表的な高級住宅街カハラの仮設校舎で行われていました。1972年、JAIMSはその記念すべき初のクラスをアメリカ経営コース(AMP : American Management Program )に迎え入れました。このクラスは28名から構成されていました。1973年、ハワード・ミヤケが所長に就任し、ハワイカイのキャンパスが落成しました。更に、第一期の日本経営コース(JMP : Japan Management Program)が開講され、アメリカをはじめとする6つの国々から23名が参加しました。これらの参加者は日本語と日本の文化、経営システムを学び、AMPの参加者ともどもグローバルな教育機関となるというJAIMSの思想を体現していました。

その後経営トップ層やSE向けの講座やセミナーが設けられ、1979年には同時に4種類の言語を扱える同時通訳システムが導入されました。1970年代、JAIMSに設置されていたコンピュータはいずれも当時の富士通の最新鋭機種でした。1981年2月にFACOM M150が搬入された際、同機種には4MBメモリが搭載。今となっては家庭用のPCにさえ使われない時代遅れの機器であるこのメモリが、当時は先端技術の粋だったのです。これらのコンピュータはJAIMSの教育プログラムの他、ハワイおよび環太平洋地域の都市開発と経営に関する研究にも使用され、小学校や高校の生徒をはじめとする地元コミュニティからの団体客がしばしば見学に訪れていました。1984年には、PCルームを設置。

1986年度秋期の各プログラムから、富士通創立50周年を記念して、富士通アジアパシフィックスカラシップ(後に「富士通奨学金」)制度が導入。当時JAIMSではシャミナード大学と共同で、1年間のプログラム修了時に日本経営修士号(MSJBS)の学位が得られる教育プログラムを開講していました。1988年、ヒデト・コーノが所長に就任し、1990年にはハワイ大学経営学部と共同で日本での企業実習を含む15ヵ月間のMBAプログラム・日本経営修士号(JEMBA)の提供を開始。また同時期に、JAIMSマルチメディア部が日本語教材・Japanese On the Go! カセットテープとVerb Explorer J (PC用ソフト)を発売しています。

1994年、フジオ・マツダが所長に就任し、JAIMSはマルチメディア施設とインターネット環境を強化。ICMPにはフランスおよび中国でのオプショナルプログラムが追加され、1996年には中国経営修士号(CHEMBA)の計画が発表になりました。1996年7月、グレン・K・ミヤタキが所長に就任。1997年にはJAIMS25周年の記念行事が開催され、JAIMSのグローバル・ビジョンと戦略計画が立案されました。戦略計画の中で、インターカルチュラルヘルスケアマネジメントプログラム、知識創造、the JAIMS-Reims Management School Exchange Program およびフニカ奨学金プログラム(JAIMS修了生のヌーリ・ソスケセン氏が運営)にJAIMSが今後注力して行くことが定められました。また、1998年11月にはCHEMBAの最初のクラスが卒業を迎えました。2004年11月からは日本ハワイ経済協議会の事務局を拝命。2005年1月には、1982年、ニューヨーク・タイムズ紙の「ベストセラーリスト」に60週に渡って名を載せ、世間を沸かせた「メガ・トレンド」の著者であり、未来思想家・世界的未来予見者として名高いJohn Naisbitt氏を迎え公開講演会を開催しました。

2006年7月には、JAIMSが1972年の設立以来30年以上に渡り、異文化間のコミュニケーションに重点を置いた教育機関として、アジア太平洋地域の人材開発および、経済発展に貢献するとともに、異文化に対する理解を深め、国際交流の促進に寄与してきたこと、また、日本の経営システム研究および日本語・日本文化の研修を通じて、対日理解の促進に貢献してきたことが評価され、外務大臣表彰を受賞しました。

JAIMS創立35周年にあたる2007年に、JAIMSの第6代所長として、当時、富士通株式会社の社外取締役でもあった野中郁次郎一橋大学名誉教授が就任しました。野中所長は、知識創造の方法論や経営戦略論に関する世界的権威として知られ、2008年にはウォールストリートジャーナルによる「最も世界に影響を与えるビジネス思想家ベスト20」に唯一アジアから選ばれました。創立35周年を迎えたJAIMSは、歴代の所長によって引き継がれた創設者高羅芳光氏の高い志と、野中名誉教授のビジョンとリーダーシップそして世界的なネットワークを通して、グローバル経済・知識社会で活躍できる真の国際人の養成を目指し、グローバルマネジメントの教育分野における新たな取り組みを始動しました。その一つが、野中所長のビジョンをもとに企画・開発したグローバルマネジメントプログラム「East-West Knowledge Leaders Program (EWKLP)」で、2008年秋に開講しました。また、同年に、『第一線で活躍する一流のプロを招き、時代に求められるナレッジと知見を共有する』場の提供をコンセプトとしたセミナー「Knowledge Cafe」を、ハワイ、日本で開催しました。

2012年7月には、近年特にグローバルビジネスにおいて重要な役割を持つアジアとの連携を強化するために、「一般財団法人富士通JAIMS」を日本に設立し、本部機能を日本に移転しました。本財団では、当初エグゼクティブアドバイザーとなられた野中郁次郎一橋大学名誉教授のビジョンをもとに開発した、アジアを視座に入れたマルチキャンパス・ネットワークをベースとした短期国際マネジメントプログラム「Global Leaders for Innovation and Knowledge(GLIK)」を2013年4月から開講しました。
※野中郁次郎氏は、2013年にエグゼクティブアドバイザーを退任。

富士通JAIMSは、「アジアパシフィック地域の人材開発と知の共創による新たなコミュテニィ開発に貢献する」というミッションを実現するために、より善い未来を創造できる人材を育てることで国際社会に貢献していきます。

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